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如信上人終焉の地

如信上人終焉の地四季折々の変化が楽しい

親鸞上人の孫である如信上人(1239~1300)は、関東、奥州への布教に下り、この地で没したと伝えられています。














由来・沿革

如信(本願寺第二世)は、浄土真宗開祖親鸞の息子慈信房善鸞の長子(親鸞の孫)として、嘉禎元年(1235)関東に生まれたと伝えられています。
弘安3年(1280)親鸞の末娘覚信尼に迎えられ、大谷の御影堂(大谷廟堂、のちの本願寺)留守職を勤めたが、その職を従弟覚恵にゆだねて東国に下り、常陸などを巡って奥州大網の地に錫を留め教化に従いました。常陸の奥郡における門徒のひろまりを追って奥州に入ったと思われ、教線は古代からの久慈川に連なる道筋にそい、修験者による山林修行の面影を残す天台系の浄土信仰に接しながら布教の場を得たと思われます。
その中で、金沢の地には太子堂があり、如信はこれを道場として門弟の乗善房信海に守らせたと伝えられています。如信は、毎年11月には京都大谷に上り宗祖親鸞の報恩講(祥月忌)を勤めていたが、その帰途、正安元年(1299)12月門弟乗善房の請により金沢の草庵に入ったが、やがて病床に臥し、翌正安2年(1300)正月4日この地で遷化しました。

[墓地(274.0m2) 法竜寺境内地(1678.87m2) 山林(310.02)太子堂跡、如信上人墓、乗善房墓、如信上人墓碑(明和3年)、山門(宝永4年)、榧1株(如信上人手植え)、銀杏1株(覚如上人手植え)、木造聖徳太子立像1体(法竜寺祠堂に安置)、塑造如信上人坐像1体(法竜寺祠堂に安置)]

所在地
上金沢字寺内1684-1ほか

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