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小久慈硯

小久慈硯現代によみがえった逸品
石と語り合うことで生まれる唯一無二の名硯

日本名硯の一つに数えられる小久慈硯(こくじすずり)は、質の良さで高い評価を得て、茨城県郷土工芸品に指定され、独特の黒いつやと石紋は素朴で美しく、手彫りのため同じものは二つとありません。
大子町の名品である小久慈硯の素晴らしい魅力に迫り紹介します。

硯石の産地として、大子町大字大子字小久慈にある槐沢(さいかちざわ)は、水戸藩2代藩主徳川光圀(水戸黄門)の時代から知られていました。光圀は良質の硯の原石を守るため、ここを御留山(おとめやま)として保護し、採掘を禁じていました。
9代藩主徳川斉昭も小久慈硯をこよなく愛し,この硯石が国にとって吉兆であることを願い、小久慈の音訓をとって「国寿硯」と命名しました。
小久慈硯は、昭和4年に茨城県内各地で行われた特別陸軍大演習の際に、茨城県知事から昭和天皇への献上品となり、翌年東京で開かれた頒布会では著名な書家や文人・財界人の注目を集め、日本名硯の一つに数えられました。しかし、その後しばらくは、作り手もなく、忘れられた存在になってしまったのです。

幻の名硯が再び日の目を見るようになったのは、昭和30年代に入り、星野岱石さん(物故)が復活させてからになります。
そして、現在は岱石さんの後継者にあたる佐藤岱山さん、その他愛好者達によって、希少性の高い小久慈硯が作られています。

小久慈硯 小久慈硯

良い硯とは

小久慈硯石を顕微鏡で見ると、表面は星空のようにキラキラと輝いています。これは金を含んだ黄銅鉱で、これが硯の命である鋒鋩(ほうぼう)を作り出しています。
鋒鋩は墨をおろす硯石の目をいい、大根おろしに例えるとギザギザの歯にあたり、ギザギザがしっかりしていることを「鋒鋩が立つ」といい、鋒鋩が立っている名硯は軽くこすっただけで墨のおりが良く、逆に硯の方は減らないのです。
小久慈硯は、この鋒鋩の立ち方が良いのです。

匠の技

小久慈硯作家
⇒「星野岱石(略歴と作品)」はこちら
⇒「佐藤岱山(略歴と作品)」はこちら

命を吹き込まれる石たち

【製造工程】
(1)形成 ⇒ (2)両面ならし ⇒ (3)荒彫り ⇒ (4)削りこみ ⇒ (5)研磨 ⇒ (6)仕上げ

広報だいご「歴史散歩」

⇒「小久慈硯その1」はこちら
⇒「小久慈硯その2」はこちら

俳句に詠まれた小久慈硯

⇒「『新涼や 名硯といふ 肌ざわり』酒井三良子」はこちら

こぼれ話

⇒「天皇にも上げられない」はこちら

小久慈硯を愛用の著名人

・徳川光圀(水戸藩主)  ・徳川斉昭(水戸藩主)  ・関鉄之助(水戸藩士)
・犬養毅(政治家)  ・酒井三良(日本画家)  ・小杉放庵(日本画家)
・武者小路実篤(作家)  ・松井康成(陶芸家)  ・ゲルトクナッパー(陶芸家)

⇒「大西勲(漆芸家)『人間国宝が語る小久慈硯』」はこちら

小久慈硯の表記

表記は様々で、小久慈石硯・国寿硯・国寿石硯・古久慈硯・古久慈石硯・大子硯・大子石硯・太子硯・太子石硯などがあります。
茨城県郷土工芸品の指定は、「国寿石大子硯」で受けています。

小粋な道具で

私たちは生活の中で硯を使うことはほとんどありません。しかし、今回紹介したように大子町には、このような歴史ある名硯が身近にあるのですから、ぜひ手元に一つ置き使ってみてはいかがでしょうか。例えば冠婚葬祭ののし袋を書く時に、筆ペンではなく筆に墨、そして硯を使い書いてみる。心落ち着かせ、ゆっくりと墨を磨り、心を込め書いてみてはいかがでしょうか。きっと味わいのある良い字が書けると思います。

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