観光

大子町のあゆみ

 本町は、もと陸奥国白河郡に属し、「倭名類聚鈔」のいわゆる白河郡17郷のうち、八溝山東南の地で、10世紀前半には既に「依上郷」として成立しました。その後、「依上保(よりかみのほ)」と呼ばれました。
 その地方は、下総の結城朝光の孫、祐広が白河に居住以来いわゆる白河結城氏の影響を受け、在地領主の勢力拡張の場であったといいます。
 さらに永正年間に至り、依上保は佐竹義舜の支配下におかれ、文禄の太閤検地によって、佐竹義宣が領有するところとなりました。以来、この地方は常陸国に属するようになったわけです。
 この依上保は、慶長7年に佐竹義宣が秋田へ移封されてから、水戸の徳川氏の所有になりました。そして、明治元年に徳川昭武が水戸藩知事になり、明治4年7月の廃藩置県のときに水戸県に属し、同年11月13日に茨城県に属するようになりました。
 今この地を「保内郷(ほないごう)」と呼んでいるのは、すなわち、この「依上保」からきた名称だといわれています。
 その後、明治22年4月の市町村制実施によって、保内郷では大子村・依上村・黒沢村・宮川村・袋田村・生瀬村・上小川村・下小川村・諸富野村が誕生し、更に明治23年8月に依上村が分村して佐原村が生まれ、翌24年8月に大子村が大子町として町制を施行しました。以来、保内郷は1町9か村として長いあいだ歩んできました。
 そして、昭和28年9月の町村合併促進法の施行に伴い、諸富野村は昭和30年2月に那珂郡山方町と久慈郡下小川村に分村して合併しました。また、一方、保内郷各市町村でも急速に合併気運が進み、昭和30年2月24日に保内郷1町8か村が一斉に合併議決を行い(下小川村は、那珂郡山方町と大子町に分村)、同年3月31日、現在の「大子町」が誕生しました。

町の木「ブナ」
町の花「茶」
町の鳥「オシドリ」
町の木「ブナ」
町の花「茶」
町の鳥「オシドリ」