くらし・行政

木造観音菩薩坐像(寺伝准胝観音坐像)

木造観音菩薩坐像(寺伝准胝観音坐像)

伝 来

  1. 性徳寺観音堂の厨子内に本尊として安置される。観音堂は昭和元年(1926)の建立。
  2. 性徳寺は、鷲栖山法光院と号する真言宗智山派の寺院である。本尊は金剛界の大日如来坐像(享保年間〈1716~36〉頃の造像か)。延徳2年(1490)、宥貴法印を開山として創建したと伝わる。もとは依上小学校付近にあったという。現在の本堂は天正年間(1573~92)に下野宮の菅田山真浄院普門寺の建物を移築したとされ、享保年間に現在地に再度移築。弘化4年(1847)、宥賀法印が改修し、昭和56年(1981)、再度の大改修をした。
  3. 本像は、当寺の南方にかつてあった小平山自在院慶福寺(大子町下金沢1772)に安置されていた。慶福寺は、永正3年(1506)の創建と伝える天台宗寺院。那須郡佐良土村(現在の栃木県大田原市佐良土)の法輪寺の末寺で、常陸国観音霊場第28番札所であったとされる。天保年間(1830~44)の寺社改革により廃寺となったとみられ、のちに本像は慶福寺から性徳寺に移された。
  4. 本像は、かつて日光山輪王寺にあったとする伝承があるが、本来の安置場所や慶福寺に伝えられるにいたった経緯などについては詳らかではない
 

形状

髻を大きく結い上げる。髻の根元に天冠台(上から列弁文・紐一条)をあらわす。頭髪は毛筋彫り、天冠台下の地髪部はまばら彫り。白毫相をあらわす。耳垂部不貫。三道相。白衣・覆肩衣・衲衣・裙を着ける。白衣は頭頂から両肩、背部を覆うようにかける。覆肩衣は背部から右肩、右腕を覆い、右脇腹でいったんたるんで衲衣にたくし込む。衲衣は左肩にかかり、背部をわたって右腋下をとおり、腹前をわたって左肩にかける。裙は上縁を腹部上方にあらわし、帯で締める。両手屈臂、腹前で左手を下、右手を上に重ね、掌を上方に向け、第一指の指先をあわせる。蓮華座に坐す。

品質構造

木造。漆箔・朱漆塗り・金泥描・彩色。白毫相、水晶嵌入。 頭・体の幹部は別材製か。頭部材は両耳前を通る線で前後に割矧ぐ。体幹部は前後二材製か。両肩以下の体側部に各別材を矧ぐ。肘以下の両袖口に各別材を矧ぐか。両手首先は一材より彫出し、両袖口に挿込むか。体幹部材の前面に別材製の両脚部を矧ぎつける。両脚部前面の裳先・袖先に各別材を矧ぐ。 像表面は泥地布貼り下地の上に漆箔を施す。白衣・覆肩衣・衲衣は漆箔の上に朱漆を塗り、金泥で渦文と雲文を描く。腹前にあらわれる裙は、漆箔の上に緑青を塗り、渦文と雲文を描く。頭髪は群青彩、眉・瞳・瞼を墨で描き、唇を朱で塗る。

  • 区分:大子町指定文化財
  • 種別:彫刻
  • 員数:1躯
  • 所在地:下金沢292(鷲栖山性徳寺)
  • 指定年月日:令和6年8月28日

問い合わせ先

このページに関するお問い合わせは教育委員会事務局生涯学習担当です。

大子町立中央公民館内 〒319-3551 大子町池田2669

電話番号:0295-72-1148 ファックス番号:0295-72-2016

メールでのお問い合わせはこちら

アンケート

大子町ホームページをより良いサイトにするために、皆さまのご意見・ご感想をお聞かせください。
なお、この欄からのご意見・ご感想には返信できませんのでご了承ください。

Q.このページはお役に立ちましたか?